吃音:「ブレークスルー」の必要性と危険性(その1)(試論)

 ある程度以上の重さ(症状の重さ、心理面での重さ)のどもりを持ちながらも「強引に」または「しなやかに」ブレークスルーし生きていくことの必要性・重要性とその危険性・問題点について。
(*ブレークスルー【breakthrough】困難や障害を突破すること。また、その突破口、「大辞泉より」)

 そもそも、ブレークスルーすることにより、結果的にでも、どもりの症状やそれにともなう心理的な問題を「改善」することができるのでしょうか?(この問題は、「うつ」の問題と共通点があるかもしれません。)

 我々(吃音者)がどもりで悩み抜いた末に、どうしようもなくなって医者(精神・神経科医)や(ST=日本では言語聴覚士)、カウンセラー(臨床心理士など、なんちゃってカウンセラーは除きます)にかかるとします。
 彼らは、西洋的な考え方、つまり「物事には必ず原因があり、それを理詰めで分析し原因を取り除いて解決する。」または「原因がわからない場合でも、障害を持ちながらでもそれとうまく共存し、より良く生きられるように合理的に考えられるように」で我々をサポートしようとします。(日本では、現実には「専門家」といわれる人のサポートを受けられている方自体が少数派(まれ)ですが・・・)

 彼ら(専門家)は上記のように論理的にものごとを進めていきます(進めようとします)。
しかし、我々人間の本質は論理性や合理性などからはかけ離れた存在です。「自己チューかつ支離滅裂」ですね(笑)。
 これを読んでいる吃音を持つ方のなかにも、自分のどもりをなんとかしたいために流布されている各種心理療法(と言われるもの)を試している(試したことがある)方はかなりの数いらっしゃると思います。

 私の「心理療法」との出会いは、中学生のころです。
クラスの落ち着きがなく成績が学年最低となり悩んだ担任教師が苦心したあげくに「自律訓練」を試したことがありました。
 朝と帰りのショートホームルームの時間に、10分くらい「手が温かくなってくる」のような自己暗示を行った後に「落ち着いてくる・・・・」などの言葉を自分で言ったか先生からかけられたか、こんな感じでした。
 中学生の私でさえもこんなことをクラス全員でやっても無理だとはわかっていました。
どこかでクスクス笑っていたり、いたずらな奴が誰かをくすぐったりつねったり。
いちばん落ち着かなくてパワーが余っている年代の子供に「落ち着け」という方が無理な話です。
 人の心は簡単に手なずけられるようなものではありません。厄介な「深層心理」が邪魔をするのです。
自分で「こうしよう」「こうしたい」と一所懸命に考えたとしても、心のいちばん深いところに通奏低音のように流れている声にはなかなか逆らえません。無理して逆らうと逆に心や体に悪影響が出てきます。

 私は大学生時代に、当時は「緊張・あがり」がどもりの原因だと何となく考えていたこともあり、「どもりをなんとかしたい」と考えて、「禅」の世界に興味を持ち参禅していた時期がありました。
 最初は「数息観(すうそくかん)」といって、自分の呼吸を心の中で百までひたすら繰り返しカウントする行を行います。雑念が入ったら自分でゼロに戻してカウントし治します。
それを1柱香(ちゅうこう=もしかしたら誤字)といって45分くらいずつの単位で何柱香かくりかえします。
最初のころは雑念の入りまくりというか、結跏趺坐(けっかふざ:足を組んで座る)しているのが苦しくて、それだけでしたが、だんだん慣れてくると数息観が出来てきました。
 数息観が出来てくると雑念がなくなってくるかというと全く逆で、様々な想いや、すっかり忘れていた過去の出来事などが、まさに走馬燈のように浮かんでくるのです。人間の心の奥深さや不思議さを感じるとともに、「これはだめだな」(禅がだめということではなくて、心にはわからないことが多すぎて、どもりはこれでは治らないということ)と思いました。

 話を進めましょう。
 
 ある程度より重いどもりの人は、人生のターニングポイント(進学、進級、就職活動、就職など)の時に、否応なく「どもり」を強く意識する(させられる)事態に遭遇します。時にはどもりのために人生を次のステップに進むことを阻まれます。
 特に、弊害がはっきりと出てくるのが就職の時です。
 同じ能力(学力)の学生がふたりがいたとします。人間性もふたりとも円満です。
ただ、違いがあります。一人は自分の名前や言葉が出てくるまで、しばらくの間激しくどもったすえに途切れ途切れに顔をゆがめて絞り出すようにしゃべるくらいのどもりです。
面接では(実際には面接までたどり着けるかもわかりませんが)、当然、大きなマイナスとなります。

 私が最初の就職でいくらか自信をつけてから転職した大手企業では、就職が決まって働き出してからしばらくたち落ち着いた頃に上司に酒に誘われてこう言われました。(好意的な雰囲気の中でですが)
「君を採用するとき、また採用した直後は「どもり」の件で社内でもめた。営業での採用だから、もしも無理だったら本社の総務課か倉庫番にでもさせればいいか・・という判断だった」と。
 これが企業の現実です。当たり前ですね、企業は遊びで仕事をしてしているのではなくて金儲けをしているのです。
 それでも運が良かったのは、時代が80年代末~90年代初頭の景気の良い時期で余裕があり、猫の手でも借りたいとまでは言わなくいてもそれに近い時代だったということです。
*、その後、社内でのどもりは、上司には不評でしたが、どもりながらも電話をしたり営業活動するごとに急速に改善され、電話、社内社外での接客、会議での発表など、ほぼ問題がでないくらいに改善し自信がつき、仕事の成績もトップクラスになりました。
 しかし、そのときでさえも、週末に自宅にいるとき、長期休暇で自宅にいて電話をするときや、場合によっては日常会話でさえも、かえってどもりが悪化することもあり、ことばを良い状態に保つためにあえて休日出勤もしていました。

さて、
どもりを持ちながらも人生をブレークスルーするためには、言葉を使うことから逃げるのではなくて、時には清水の舞台から飛び降りるような気持ちで「無理をする」必要が出てきます。
 *もちろんどもりの重さによって、また、心の健康の程度によっても、どこまで無理ができるかということが違いますが・・・ 

 学生でしたら、言葉を使う(販売や営業補助などの)アルバイトに応募してみる。
かつての私のように、学校を卒業後も就職できずに(就職せずに)引きこもりのような状態になってしまっているのならば、アルバイトでも良いので言葉を使う仕事をして大いにどもってみる。など、自分を良い意味で追い詰めてみることです。
*もちろん危険性もあります。精神論でただガムシャラにがんばる!などというのはいけません。

 それぞれの人のどもりの重さや生きている環境によって個人差はかなりありますが、その、「無理をすること」のなかで、自分の心と体で自分のどもりをとらえることができたときに「ブレークスルー」できるのかもしれません。
 それは、「自分がどもっている人間だ」ということを体感できた時にはじめて「自分の人生を生きていく覚悟」ができるということでもあり、もしかしたら、おまけとして吃音の改善がついてくるかもしれないということなのです。

 しかし人生は残酷で、その先にはさらにもう一つ上のブレークスルーすべき次元があり、今回のブレークスルーによってそれが見えてきてしまうということでもあります。

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