吃音の現状2009

 今年も終わろうとしていますが、最近、たまたま見た掲示板で、どもりが原因で学校を中退し引きこもりになっている若い方の書き込みを見つけました。

 まだこうなんだ、こんな若者が日本にどれくらいいるのだろう? と暗澹たる気持ちになりました。

 残念ながら、吃音者(特に思春期以降)を取り巻く実質的な環境(サポート体制)はここ何十年もたいして変わっていないことはこのブログでも何回も書いていますが、2009年の日本もそうなんだな・・と改めて思いました。

「どもり」という障害を持っていても、それがどんなに重いものであろうと生きていくことは可能です。
どもりそのものが体を蝕むような病気ではありません。
 まったく話をしなくても良い職種か、普通の仕事でも吃音者のために特別に配慮された職場があれば「楽」かもしれませんね。

 しかし、そうではない、人の心はそんなに簡単ではない。
それは向上心があるからです。昨日より今日・・・と少しずつでも自分を高めていきたい、
例えば、いまは、工場のラインのなかで部品を組み立てる仕事をしているのでほとんど会話もしなくてすんでいる。
でも、慣れてきたら、リーダーになって(給料も上がるし)責任を持つ仕事をしてみたい。それにはしゃべることが必要になってきます。

 それで、吃音者自身の心を悩ませているのです。

 どもりは、いわゆる「障害」とはちょっと違うのかもしれません。
障害を持っていると言ってもその種類も重さも様々ですが、第三者のサポートを常に必要としているものから、ほとんど障害を持っているとはわからないようなもの、また、ある状況下でのみその障害が表面化する、というようなものもありますね。
 どもりは、ある程度以上の重さのものでも、あるときは比較的軽く、またあるときは同じ人とは思えないような重いものになる場合もあるので、家族などから「障害」として理解されず「たいしたことないのに甘えている」と評価されてしまうことが往々にしてあるのです。

 こんな不確実さや理解のされにくさが、吃音者の心を、真綿で首を徐々にしめていくように苦しめるのです。

 もちろん、口から出る言葉がすべてどもるような、日常生活にかなり大きな支障があるような吃音者もいらっしゃいます。私の知る限り、そのような方々がセルフヘルプグループに参加されたとしても、いざ会合に出てみるとみんなが意外にぺらぺらとしゃべっているのに驚いてしまい、結果的にグループの中でも孤立してしまうか、
表面的には打ち解けたように振る舞われていても、心の中では「ここは私のいる場所じゃない」と思われて徐々に活動から離れている方もいらっしゃいます。

 それでも、私は、様々な重さのどもりを持っていたり、いろいろな環境下で苦労されている吃音者が集まり、お互いのいろいろな違いを素直に認めながら交流していくような場の方が良いと思っています。
 そのグループの責任者にはいちばん重いどもりを持っている人がなり、会合などもその人のペースで進めていくような考え方があっても良いのではないでしょうか? そのあたりから、なにか大切なものが生まれてくるような気がします。

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