吃音:自分の悩みをごまかさない(再々掲載:初掲載2009/03)

○、弱音をはける場を持つことの重要性(壊れた心はなかなか治らない)
 日常生活レベルの会話でコミュニケーションに支障を生じさせるくらいの「どもり」を持ちながら生きていくことは実に大変です。
 「どもることを気にする・気にしない」という個人レベルの想いと、「仕事上でどもることにより職務にそれなりの支障を生じさせる=結果として職場に居づらくなる」ということは別問題なのです。

 いちばん良いのは、それぞれの人のおかれた環境や吃音の状況を考えて無理をしない仕事に就く(怠けるということではありません)ことですが、
 現実には、生きていくために(ある程度以上の収入を得るために)常に大きなストレスがかかるような「ことばの環境」で働かなければならないことはいくらでもあります。(むしろそちらの方が多いかもしれません。)
 ひとの経験談や考え方を聞いて参考にすることも大切ですが、それ以上に自分の感性を大切にし自分を守ることが大切です。

 苦しいときには「たいへんだ、苦しい」と嘆き、耐えられくらいの事態に遭遇したときには思わず逃げてしまうことがある・・・そんな正直な生き方ができる(できるような環境を自分で整備する)ようにしていかないと、場合によっては取り返しのつかないことになります。

こころが壊れてしまってから回復させるのは大変な努力と時間が必要です。

 残念なのは、そのように生きていこうとする人たちをバックアップすべき環境がきわめて貧弱なことです。(うつ病の場合もそうですね。)
 日本の街なかには、吃音者のホームドクターとなるべき言語クリニックなど存在しないし、こころの問題でしっかりとサポートしてくれるような精神科医や臨床心理士を見つけることもきわめて難しいですね。

○、自分の弱点を知り、自分なりの生き方を構築する
「電話が苦手」、「自分の名前がなかなか出ない」など、吃音者ごとに苦手なものが違います。
 あえて苦手な方向で活躍しようとするのではなくて、言語(しゃべること)以外の能力が発揮でき、評価されるような仕事に就くこともひとつの方法ですね。

 仕事上で「自信」がつくことによって、どもりの症状そのものにも良い影響を与えると思います。

 よく話題にのぼる、いわゆる「行動療法」で、ひとつずつクリアしていくという考え方はいかにもシステマチックですが、現実には時間がかかり結果もはっきりしません。
 相談する先生についても、素性のわからないままかかるのは危険ですね。
そもそも、日常的に通えるようなところで信頼できる先生が心理療法を継続的かつリーズナブルな価格で行なってくれるところはあるでしょうか?
 学歴だけにこだわるものではありませんが、専門の勉強をしていなくても「何々カウンセラー」と名乗ることは可能ですから、世間では「評判の先生」だとしても怪しいものです。

 せめて臨床心理士のように、指定大学院を卒業して・・・などの資格要件をしっかりと定めた専門家の制度を作り、出来れば国家資格化し、その資格者しか心理療法には携わることができないようにすべきです。
(医師がいる病院で働かなくても)独立開業できて保険が適用される体制を整えてほしいものです。

○、あえてチャレンジするもよし、できるだけ楽な道を選ぶのもまたよし
 禅僧のようにストイックにどもりに対峙する生き方。
「治したい」と考えたら、古今東西のどもりについて書かれた専門書(HOW TO本ではありません)を読むことからはじめて、専門家を訪ね歩いたり、セルフヘルプグループに参加したり、自分で組織したり、果敢にチャレンジしていく。
 あえて、民間企業の営業職などについて思いきり苦しい想いを味わう・・・などという生き方もあるでしょう。

(大変そうですが)どもったままでもよいので堂々と自分の生き方とつらぬいていく、という考え方もあるでしょう。
 または、どもりを治すことにはこだわらずに、しゃべること以外のところで勝負する。こんな生き方ももちろんあり、ですね。

○、子供の頃から将来の仕事を意識する、親も子供の将来の仕事を意識して育てる
 吃音者が人生で挫折することが多いのが学校を卒業して就職するときです。
(家庭内や友人間での日常会話でもではっきりと「どもり」がわかり、コミュニケーションに支障が出るくらいの重さの)どもりを残したまま思春期を過ぎると、自然治癒は事実上期待できないでしょう。
 その場合は、子供の頃から(遅くとも中学生高校生くらいから)、将来就く仕事を意識しながら勉強する方向性や取る資格の種類を決めていく必要があります。
 その方が、結果として、自分らしさを発揮できる幸せな人生が送れる確率が大きくなると思います。

○、両極端な考え方には気をつける(東洋の思想に学ぶ)
 ものごとには「絶対これがいい」ということはありません。
特に、どもりについては、本人のどもりの重さ(客観的な症状の重さと、自分のなかでどの程度気にしているかという主観的なもの)や、本人が生まれ育った環境(家庭の経済的環境、どもりに対して理解があるかないかという精神的な環境)による違いがかなり大きいことを考えるべきです。

 たとえ第三者からみて同じようなどもりかたに見えても、
ある場合には適切な言語訓練がよい場合もあるでしょうし、ほかのケースでは、まずは家族に対してカウンセリングや指導を行ないこころの環境を整える方が先、ということもあると思います。

 「とにかく治さなければ始まらない」、とか、「治す努力はしない」、などいう極端な考え方をするのではなくて、
ものごとには常に違う要素が混ざり合っているという東洋の考え方に学び、柔軟に考えていく必要があります。

○、がんじがらめの心をほどく工夫をする
 これは、どちらかというと本人よりも、まわりの人の仕事かもしれませんが、吃音者の心のなかが「どもり一色」にならないようにサポートしてあげることです。

○、ひとりで良いので「何でも話せる友人」を持つ
 これがいちばん重要かもしれませんね。

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