それぞれの吃音者(児)には、それぞれの吃音があり、それぞれの生き方があるので、多様なバックアップ体制を!

 私は、多様性という言葉が好きです。
経済問題、農業問題、教育問題、もちろん「どもり」のことも、
世の中にあるすべての問題では、当事者にそれぞれの立場があり、それぞれの人が自分の利益を最大限確保しようと思い工夫するのは当然のことです。
 しかし、そのことが時として戦争を起こしたり、そこまで行かなくても無益なケンカを引き起こしてしまうことがあります。

 その軋轢をどのように調整しお互いにベターな解決を見いだしていけるかが、よく言う「人間の英知」なのではないでしょうか。それに必要なものは「知性」と「柔軟性」だと思います。

 どもりの問題についていえば、ごく軽い症状の方からかなりの重症の方まで、また、環境的(経済的・心理的「まわりの理解」)に恵まれている方もいれば、全く理解を得られない四面楚歌の状況下で生きておられる方もいらっしゃるでしょう。(耐えきれず自殺を選択される方もいらっしゃいます。)

 吃音者が10人いればすべて違う「どもり」というのがほんとうのところではないでしょうか。

 
 ふた通りの設定をします。
 
 ひとつ目は、小さな頃から重いどもりをもっていて学校ではかなりの苦労をした。
学校を卒業後は、いわゆる「普通の就職」はできなかったが、まわりの人の協力もあり言葉を多用しない職場で働くことができ、それなりの充実した時間を過ごしている。(もちろん心の中にはいろいろな想いが交錯しているが・・・)
 毎日をなんとかでも過ごすことができ、耐えきれなくなるような大きなストレスを感じることはほとんどない。

 二つ目は、客観的にみて軽いどもりの場合。
 家庭内での日常会話、友人間の何気ない会話、また学校や職場内での何気ないやりとりでは、ほとんどどもらないか場合によってはむしろ雄弁だが、家庭内で電話を取るとき(多くは自分からかけるとき)、学校で授業中に指名されて答えたり教科書を音読させられるとき、職場での会議で説明したりプレゼンを行う、また、社内電話や取引先との電話を受ける時やかけるときになると、先ほどまでの雄弁が嘘のように「おおどもり」になってしまう。
   大不況のなかで、職場の中や同業他社との競争はすさまじく、社員が減った分仕事量も増えてストレスは増すばかり。
それでも、生きていくため(自分と家族が生きていくに足る金額を稼ぐため)には会社に残らなければならず無理をしまくって生きている。最近はうつ状態で、精神科にかかって精神安定剤や睡眠薬を飲みながらなんとかやっている。
 不安やストレスのなかでどもりも悪化しているが、その悪化のスパイラルに有効に対処できない。

 よく言われる就職のときの「電話での問いあわせ」や面接のときに「どもる」ことについてですが、
 どもらない人が「緊張からつっかえてしまう、どもってしまう」こととは次元の違う「言語障害様のどもり」が面接官のまえで展開された場合、つまり、めちゃくちゃにどもってしまうような場合には、今は昭和の高度成長期やバブル期のような人が足りなくて猫の手でも借りたいという状況ではなく、なるべく人減らししたいという世の中ですので、「どもりの程度にもよりますが」大きなマイナスになることは間違いありません。
 よく、だいじょうぶ、などと楽観的なことを言う人がいますが、世の中「特に民間企業」はそんなに甘いものではありません。じゃあ、人生に絶望しなければならないか?ということではなくて、そういう現実を踏まえた上で人生設計をしていけば良いことなのです。

 こんなふたつのパターンを用意しましたが両極端な設定なので、実際には・・・
一つ目の場合でも、学校でクラスメイトや先生のいじめを受けて引きこもりになったり、家族が無理解や無関心の場合には「とんでもない方向」へと進んで行ってしまう場合も十分にあり得ます。
 深刻な問題になるほど家族も隠しますのでアンダーグラウンドの世界へと隠れてしまいます。表面化するのは、引きこもって暴れて近所の人に認識されるか、犯罪的な行為を引き起こしたときなどです。

 二つ目の軽い場合でもさらに細かく分けると、業務に支障がないレベルの軽いどもりから、業務に支障が出るレベルの軽いどもりまであり、常にその症状が出る場合もあれば、ある条件(季節、繰り返し、不定期)になるとその症状に陥って業務に支障が出るどもりが出る場合もあります。

 実に多様などもりの世界ですから対応もフレキシブルに行いたいものです。間違っても、お役所仕事的な対応はしてはいけません。

 ○吃音者の気持ちを決めつけない。
 同じ吃音者(児)でも、時と場合によっては、吃音を受け入れてもよいと思うことがあるかもしれませんし、また、どもりの自分の境遇を嘆き死んでしまいたいと思う(または自殺を試みる)こともあるでしょう。
 また、こどもから思春期を経て、社会人、・・・と変化していく課程でも、吃音に対する考え方(人生観)は大きく変わっていきますので、そこまでフォローできる専門家(STや臨床心理士)の育成(彼らが安定的に仕事ができる環境の構築も含む)が必要です。

 サポートする側は、甘やかす必要は全くありませんが、本人がどのようなことに悩んでいるかをためらいなく話せるような環境を作ることをまず行うべきです。そうしないと事実を見誤ります。

 ○多様な選択肢を提示して自由に選択させる。
「どもったままで良い」、「できるだけ軽くする」・・・など、いろいろな考え方がありますが、「本人の希望はどうなのか?」がいちばん重要です。
 小学生くらいの子供に「どもりの受容」を説いたとしても場合によっては押しつけになりかねません。素直な子供ほど大人のいうことには逆らえませんから、かえってストレスを抱えてしまう場合もあるでしょう。

 「あの人(先生・親・専門家)はこう言ってくれるけど、僕の心の中は本当はこうなんだ!」という気持ちを起こさせてしまったらそれはもう、失敗ですね。

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それぞれの吃音者(児)には、それぞれの吃音があり、それぞれの生き方があるので、多様なバックアップ体制を!」への2件のフィードバック

  1. 管理人です、書き込みありがとうございます。書き込まれた内容ですが、少なくともそのようなセラピーの体制があるからこそ結果として出てくる修正点ですね。問題点が出てきたら、それをフィードバックさせて修正し、よりよい方法へと進化させていけばよい話ですから「前向きな」問題だと思います。日本のシステムでは、組織において問題が出てきたときにそれを冷静に分析し、問題点をピックアップして改善していくという、ごく当たり前のことがなかなか行われない土壌がまだ残っています。

  2. こんにちは、テキサスのkayです。今回の記事には、はっとさせられました。>あの人(先生・親・専門家)はこう言ってくれるけど、僕の心の中は本当はこうなんだ!」という気持ちを起こさせてしまったらそれはもう、失敗ですね。本当におっしゃるとおりです。アメリカの吃音セラピーは、子ども(小学生以上)にも「どもり」としっかり向き合わせ、吃音症状のみでなく、背後にある心理的な葛藤をも克服できるよう支援するのが一般的な形なのですが、ご指摘のように子どもの心の中は十人十色。セラピストがよかれと思っても、それがその子にはかえっておおきなストレスになってしまうことも、実際にあります。そして、だんだんとスピーチセラピーが嫌になり、自然と止めてしまう、というパターンもよくあるようです。自己表現の上手ならともかく、それがうまくできない子の場合は、「自分の本当の気持ち」をセラピストに上手に説明できず、そのためにセラピストもその子に一番合ったサポートができなかったり、ということもあるのですね。そいういうときは、コミュニケーションの難しさを痛感します。

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