吃音:本人の望むことと社会からの要請とをどのように折り合いをつけて生きていくか(2009年2月7月、再々掲載)

「どもる」本人が持っている、「ほんとうはこう生きられればいいな、生きやすいのにな」という考え方や想いは年齢とともに変化していくと思いますが、
 本人の希望と、社会(子供にとっては小さな社会である家庭、学校、そして成長してからは職場)から要請されることとの間には大きな開きがあります。

 例えば、「電話は苦手で、自分の名前が出るまで30秒以上かかるので、したくないな」、「自分の名前や会社名はきわめて言いにくいので言いたくないな」・・・などはその典型例でしょう。

 日常生活で、「どもりでなければ当たり前のようにできること」ができない(できにくい)ということ。
それも、本人の努力不足や過去の悪い行いが原因でないのに、「できない」ということは、何よりも、どもっている本人の心をくさらせ、ささくれさせ、場合によっては生きること自体を辛くさせます。

 そのような立場に置かれたある程度以上の重さ(症状・心理)の吃音者が生きていくために、社会からの要請にどう答えるか・・・(ここで言う社会からの要請というのは、自分でお金を稼いで生きて行くためには何らかのグループに属してそこで働いてお金をいただくことが必要で、その属している組織が従業員に求める仕事上のいろいろなスキルのことです。)
 全く無視するか、または答えるふりをして生きていくか、また、どうもがいても答えられないので諦めて他の道を探すか・・・・・・・・・・
 これらのほかにもいろいろな心の形があると思いますが、このあたりが難しいことと思います。
 どちらにせよ他者との関わりのなかで生きていくのが人間である以上、何らかの折り合いをつけていく必要があります。
(でも、実際には「私も経験者ですが」、自分なりにベストを尽くしても結果的にうまくいかず追い詰められて、自分としてどうして良いかわからなくなり「ひきこもり」のような形になってしまうこともありますね。)

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