吃音者の気持ちを理解することの難しさ

 どもりを持って悩んでいる人の気持ちを第三者が理解することは至難の業です。

 どもりでない人はもちろんのこと、同じ吃音者でも、症状の重さの違いやどもりを持つ人を取り巻く経済的・精神的環境の違いによってどもりに対する考え方や感じ方は大きく異なることがありますので、お互いを理解できないことはあるのです。

 同じくらいの重さのどもりを持っているふたり、仮にAさんとBさんがいるとします。

Aさんは比較的裕福な家庭に育ち、高校から大学へと進学ができて、大卒後もしばらく就職せずに、専門学校や大学院に通うなどの「モラトリアム」が与えられています。

Bさんは、高卒後にすぐに就職しなければならない家庭の経済環境で、いわゆるコネで就職しました。
親の収入が少ないためにBさんの収入で家計を支えているために、どもりでどんなに苦しくても会社をやめることもできずに心の中では常に「苦しい、死にたい」と思いつつ毎日を過ごしています。

 こんなふたりのどもりについての考え方は同じはずはなく、仮にBさんがその苦しさに耐えながらもなんとか人生の荒波をくぐりぬけてきたとすると、自分に自信が付いてくると同時に、「もしかしたら」他の吃音者に対しては自分の苦労を例に出して「きびしい環境下で我慢して生き抜くことがよい結果につながる」と厳しいアドバイスをするかもしれません。

 これが、以前も書いた「素人の限界」なのです。

 本来は、言語障害や心理学、カウンセリングなど関係学問領域を学んで豊富な臨床経験のある有資格者が(日本では国家資格の言語聴覚士=でも、この資格は思春期後の吃音に対する領域がフォローされていない問題がある)吃音者からの意見も参考にしつつ、公平な立場からカウンセリングや相談、場合によっては言語訓練を行うべきなのです。

 このようなしっかりとしたシステムができないと、場合によっては、同じ吃音者から受けたアドバイスでかえって深く傷ついてしまう方もでてきてしまいます。

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