吃音を治したがる人、治したがらない人

 同じくらいの「重さ(客観的・主観的)」のどもりの人でも、それぞれの人生で出会う様々な「困難」や、子供の頃からの家庭環境(精神的環境・経済的環境)、また、思春期以降に本人がどのような人生観を持つかによって、自分のなかに占める「どもり」の割合が大きく変わります。
(子供の頃のどもり方が同じくらいの二人がいたとして、その後の「苦労」の違いでも、思春期以降のどもりがどうなるかも大きく変わってくるでしょう。)

 人には、「頑固な人」と「柔軟な人」がいますが、どもりを持つ方の「どもりに対する考え方」も、この両者があるように思います。

 どもりを持つことで悩んでいて矯正所に通ってみたりセルフヘルプグループに通ったりしているが、非常にガードが堅くグループのなかでも打ち解けない(ように見える)人もいれば、
 「セルフヘルプグループのなかで大いに(どもりながら)話し合ったり騒いだりしているうちに友人ができて、自分の心もほぐれてきて結果として就職ができた」などという例もあります。
(これは、セルフヘルプグループに通うことによってどもりが軽くなったということでは必ずしもなくて、「元気が出た」ということです。)

*かつて、小さなセルフヘルプグループを作っていたときに、「とても重い」方をグループに誘ったのですが丁重に断られたことがあります。どもりに限らず、すべての病気や障害に言えることですが、やはり、「重い」と「軽い」の間には大きな差があるなと感じたものです。
 重い人と軽い人が、お互いの違いを尊重しながらセルフヘルプグループを円滑に運営するには、責任者やオブザーバーがしっかりしている必要があります。そうでないと、お互いの心を傷つけてしまう危険性があります。

 表題の「吃音を治したがる人」というのも難しいですね。
心の中では「治したい」という気持ちがあるが現実にはなかなかそうはならないことを経験し心から感じたときに、その事実を素直に受け入れることによって(結果として)どもりの症状が軽くなる方もいれば、
 周りの人には「どもったままでよい」というような考えを発しているにもかかわらず、どもりの症状そのものは、どもりの人から見れば、「この人は、どもることに、たいへんこだわっているな」とわかるような場合もあるのです。

 どもりの人がいれば百人百様ですから、「これが良い」というふうに決めつけないで、
このケースには適切な言語訓練が必要、また別の場合には平行して家族も含めた心理カウンセリングが必要、また、別のケースでがは言語訓練やカウンセリングよりも「親友ができて話すことがいちばんの薬」という場合もあるのです。

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