吃音が原因で、現実に「生きることに困っている人」のことを考える

 どもることが原因で、現実に、「学校に通えなくなっている方(不登校・ひきこもり)」、「働けなくなっている方(出社できない)(就職できない)」のことを基準にして「どもりの問題」を考えることは、我々吃音者でも(軽い吃音者や、いまはかなり改善された方は)ついつい忘れがちなのですが「基本」なのです。
 
 いまは何とかなってはいるが、かつては、なかなか就職できなかったり学校に通えなくなった経験をお持ちの吃音者は大勢います。(しかし、この厳しい経済情勢ではいつ、またそうなるかわからない。)
 
 また、現在、どもりを原因として、職場に居づらくなっている方も多いでしょう。
それは、労働問題として、障害を理由に解雇するのは・・・・という次元の問題ではなくて、職場でどもりを原因として「通用していない」苦しみと、たとえ「まわりがいろいろと配慮してくれる」という極めて幸運な環境にいたとしても、自分の心の中にある「やりきれなさ」でもあります。
 
 そういうときに、「気にしない」「どもっているままで生きていく」という考え方の「無力さ」を痛感させられますが、哲学的な考え方の必要性とともに、矛盾を抱えているという吃音問題にどう取り組んでいくかということを考えさせられます。
 
 
 
 
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吃音が原因で、現実に「生きることに困っている人」のことを考える」への1件のフィードバック

  1. 理想論と現実論、短期目標と長期目標は、互いに矛盾しあう部分がありますよね。吃音に関してだけでなく、日常生活のさまざまな場面において、そう感じることが多いです。特に学校や職場は、対人関係が大きい役割を果たすので、「わたしはこれでいいんだ」と思っていても、周囲がそんな「わたし」を受け入れてくれないと、うまくいかないことも出てきて、やるせなくなりますね。だから、おっしゃるようにまずは今目の前にある現実問題に対処する方法を考えなくては。と、わたしも思います。具体的に、こんな場合はどうしたらいいか。こういうときはお互いどんなふうに問題解決にあたったらいいか。そんな具体的な指針があったほうが、本人も周囲も楽になるんじゃないかなって気がします。

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