吃音を情緒論で考えるか、システム的に考えるか(2007年9月、再掲載一部改編)

 どもりの問題については、
○、個人の経験や想いを中心に「情緒」で考えていくのか、
○、社会にどのような「カウンセリング」「長期的な視野に立った治療研究」「言語訓練」などのシステムを作れば、どもりの人が「たとえ治らなくても」自分なりの人生を充実して送っていけるか、また、少しでも症状や心理的な軋轢が改善されることにより「稼いで現実を生きていくために」社会に適応できるようにるのか、という2つの論があるように思います。

 それが現在「ごちゃごちゃ」になっていて、もともと次元の違う「情緒論」と「システム論」が同じレベルで論じられているから、なかなか話が進まないような気がします。

 個人の経験やどもりに対する想いは仲間同士で語り合っていけば良いだろうし(これだけでも救われる吃音者は大勢いらっしゃいます)、
 一方、システム的な問題は、個人の経験をも踏まえた上で、行政や研究者も巻き込んで、どもりを持っている人が自殺したり・引きこもりになったりしないという最低ラインを確保し、さらに、どもりを持ちながらも自分の特性を生かし自分らしい充実した人生が送れるように社会的なシステムをどう構築していくかということ、また、中・長期的視野に立っては、システム化された質の高い心理カウンセリングの体制や、言語訓練の体制を構築していくか、というような事柄を「冷静」かつ「システム的に」に考えていく必要があるでしょう。

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