吃音とそれに耐える心の閾値(しきいち)について(再掲載一部改編2007/10/08)

またまたバックナンバーですみません!

 どもる人は第三者から見てわかる客観的症状が「重い人」から、ほとんどわからないような軽い人までいます。
しかし、重い=悩んでいるという単純な図式ではなくて、傍から見るとほとんどわからないような「軽い人」が自殺を意識しながら日々を生きていたりする不思議な「障害」です。

 どもらない人から見れば理解しがたいかもしれませんが、同じ「どもる人の間」でさえ、場合によっては理解されません。

 2歳から3歳くらいの間に始まることが多いとされるどもりは、その半数以上が就学年齢までに自然治癒されるということですが(この割合も調査によって幅がありますのでどこまで本当かはわかりません。)、私のように(不幸にして?)それ以降に持ち越すと人生にいろいろな次元で影響を与えます。

 ある人にとっては(自殺を考えさせるほどの)耐えがたい苦痛を与えるかもしれませんが、また、ある人はとっては、どもりで苦労し尽くした経験が自分の人生を豊かにしたと考えておられる人までいて幅広いのです。

 本人にとってどもりが耐えがたい苦痛になるかどうかは、どもりの重さや取り囲む環境の違いがあることはいつも書いていますが、「心の閾値(しきいち)の違い」も大きいのではないかと思います。

 それは、「打たれ強さ」などという簡単な考え方ではなくて、どもりの客観的な重さや、小さなころよりどもりっている自分が家族のなかでどもったままで受け入れられていたか、ということ、また、自分の人生にはっきりとした目標がありそれを実現するのに自分のどもりがどこまで影響するか、など、いろいろな条件があって、その人の「どもりに耐える心の閾値」を作っているように思います。

 もっとも、「どもりに耐えていく」という発想そのものが、ネガティブな間違った考え方なのかもしれませんね。

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