吃音を持ちながら大成した人の経験は大事だが・・(2007年9月改編)

 どもりを持ちながらも大成した人(注:必ずしも社会的に成功した人のことではない)の経験は、残念ながら、今の日本では思春期以降のどもりで悩む人が参考にできる唯一の情報源と言ってもいいでしょう。

 言い方を変えると、専門家であるはずの言語聴覚士や言語病理学者(日本にそんな専攻名の学部があるのか?)の活躍が見えてこないのです。
 学校のなかで、学会のなかで、また、一部のセルフヘルプグループとのかかわりのなかでは、それなりに活躍されてるかの知れませんが、本当に、いま、どもりで悩んでいてどうしたらよいかわからない人や親御さんの手に届くところではほとんど活躍されていないのです。 (そう見えます。少なくても積極的にアピールしていませんね。)

 ですから、「セルフヘルプグループ」や、「ネット上にある経験者の書き込み(HPやブログ、掲示板など)」、または、「ネット上で宣伝している民間無資格どもり矯正所の情報」を参考にして「自分なり」にやっていくしかないという日本の現状があります。 (たぶん、一般のどもりで悩んでいる人にいちばん敷居が低いのは、民間のどもり矯正所でしょう。)

 しかしその割には、たとえばグループ等の集まりでで招へいするのは、言語聴覚士だったり、大学の先生です。

 われわれどもりを持っている人間は、もっと「今までの自分の人生経験の集積」に自信を持つべきだと思います。
専門家という人から指摘されるまでもなく、どもりで苦労してきた人の心の中には吃音に関する膨大なデータベースが出来上がっており、自分なりのいろいろな吃音に対するチャレンジの軌跡が眠っています。

 現状では、我々が一番の専門家なのです。

 しかし、専門家にあって一般のどもりの人にないものは、それらの貴重な経験を学問的なレベルで考えて整理しなおしたりする知識です。
自分の経験が他のどもりの人に当てはまるのか、 一般のどもりの人の参考になるのかという判断ができないのです。

 その悪い例が顕在化したものが、よく語られる「民間の無資格吃音矯正所」でしょう。  

 矯正所を立ち上げた時の理想は高いものがあったのでしょう。
日本の思春期以降の公的なサポートがないに等しい現状に立ち上がったのかもしれません。
しかし、それで食べていくとなると、当初の高い理想はやがては消えて、生活のために矯正所を運営していくようになって行くのかもしれません。「必ず治る」とか、それを裏付けるためにもっともらしいあと付けの理論(心理学や、言語障害に関する領域の勉強すればそのインチキさはすぐわかります。)で、どもりで困っている人の心をゆさぶります。

 せっかく「言語聴覚士」という言語障害の国家資格ができ、また、大学には少数ながらどもりの専門家がいらっしゃるのですから、それらの人をもっとうまく「我々が」使いこなせるようにしなければいけません。

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