吃音児(者)へのネグレクト(無視)と虐待について

  リンクさせていただいているブログ「言の葉を拾い集めて」で、ネグレクトについてふれておられるので、こちらでも、私なりに、「吃音とネグレクトや虐待」について考えてみます。

 「ネグレクトと虐待」、と言っても、TVのニュースに出てくるような家族間の殺人などに絡むものではありません。
 何気ない日常に潜む、家族などによる、どもりを持つ子供などに対しての 「無作為」(問題がわかっているのに、なにも対策を打たないこと)、や、「あえて傷つける言葉を言うこと」、は、しだいに、どもりで悩んでいる人のこころを蝕んでいきます。
 それは、どもりの症状そのものや吃音者の心に大きな悪影響を及ぼし、・・・・・
進学できない、就職できない、就職できたとしても出社できなくなったり、登校拒否、そして、引きこもりや、うつ病、最悪は自殺、などの深刻な事態に至ることがあります。

 (20年くらい前までの)かつての日本では、まだ、「親は子供のことを必ず想っている」という「性善説な考え方」が多く、TVドラマなどでもそのような内容が多かったような気がしますが、現在では、現実に家庭内での殺人が毎日のように起こっています。
 背景には、いろいろな要因があるのでしょうが、かつて「総中流」と言われていた日本の社会が、政治の決定的な失策によって「経済格差の大きな日本」になってしまったことが考えられます。
 「貧困」のなかで、今までは表面的に出ていなかった家族内のいろいろな問題が噴出してきたような気がします。

 大きな背景は別として、具体的な原因としては・・・・・
どもりの子供の例で考えてみると、家族に「どもり」に対しての正確な知識がないことも大きいのではないかと考えられます。
 昔から一般によく言われる言葉、「子供の頃どもっていても大人になれば自然に治るよ。」これはある意味事実です。
 2~3歳頃に発生することが多いどもりは、その多くが就学年齢頃までには自然消滅するということはかなり昔からわかっています。(これ自体もいろいろと議論がある)
 しかし、治らない人も多数いるわけで、就学年齢以降から思春期に持ち越した「(症状としての)どもり」は自然消滅は期待できない、と考えた方が良いのではないかと思います。

 (ある程度以上の重い)どもりを持ったまま学校に進んだ子供は、授業中や休み時間、友達と遊んでいるときなど、あらゆる時間帯に自分が「どもり」であることを思い知らされます。
 しかし、家庭に帰ると、隠しきれないような重いどもりを除いては、それほどどもらない(どもるところをあえて親に見せない)子供が多く、親が実情を把握できないことが多いのです。

 ここで注意しなければならないことは、やはり、どもりの重さです。
 「軽いどもり」はそれほどめだちませんし日常生活にもそれほど影響しません。どもりの人の比率からすると軽いどもりが多いようですから、そのような例をもって「気にしない方が良い」と考えてしまうと、「本当にどもりで悩んでいる子供」の心を追い詰めます。

 もしかしたら、前述したように、どもりを極端に恥ずかしがって、また、「どもりはいけないものだ」という罪悪感が身についていて、親の前では「極力しゃべらないように」したり、「めだたないように」しているかもしれないのです。 (いじめられている子供が、親の前ではなかなかそのことを話せないのと似ています。)

 そういう背景があるどもり。・・・・・
 悩んでいる吃音(児)者に対して、「どもりの苦労なんて大したことはない。世の中にはもっと苦労している人がいる」という言葉をかけても、何の救いにもならないばかりか、かえって吃音者の心を追い詰めるだけです。

 また、吃音で悩んでいる子供がいるのに、親が忙しいことなどを理由にしてなにもしてあげないのならば、それは子供を虐待していることと同じような意味をも持ちます。

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