吃音を治そうと努力することと、あきらめること

 人生には良い意味での「あきらめ」という言葉がるように思います。
五木寛之さんがTV(テレビ朝日、百寺巡礼)言っておられましたが、「あきらめる」とは、「明らかに極める」ということで仏教的な意味があるようです。
 
 何かをするときに、自分の出来る範囲でギリギリまで努力してみて出来なかったときに、必要以上にそれに固執しないで別の方法や別に生き方を求めていく、そんな考え方でしょうか。
 
 どもりは2歳から3歳くらいで発症し、小学校3年くらいになると本人もはっきりと意識し始めます。
吃音者の人生に対するどもりの影響の大きさは、その重症度、また、吃音者を囲む家庭環境・社会環境によってかなり違います。
 
 思春期前の小学校低学年の子供が、授業中に本を読むときにまともにに言葉が出てこない、
「おはようございます」の「お」が出てこないで先生から挨拶が出来ないと怒られる、
友達のうちに電話するときに自分の名前が言えず無言電話として切られてしまう、
そんな毎日を繰り返していると、どんな素直な良い子でも心がすさんで来ます。
 
 どもりが病気ならば治る筈だということで総合病院に行っても相手にされない、
学校の先生に相談すると「言葉の教室」というのがるということで授業を抜け出して通ってみても毎回遊びのようなことばかりしている。(それには本当はきちんとした意味があるのですが)
 
 そして、思春期を向かえて受験勉強、ほのかな恋心、ライバルとの競争、などなど吃音を持たない人間でも悩みの多い時期に入っていきます。
 
 中学生以降の吃音者をサポートする公的なシステムは事実上ありませんから、毎日の生活に大きな影響がある子供の場合はなんとかしようとしていろいろさがした末に、「言友会」のようなセルフヘルプグループに参加するか、ネットで見つけた民間・無資格の「吃音矯正所」に大金を払って行くこととなるでしょう。
 
 言葉の教室やセルフヘルプグループは、どちらかというと、「吃音を受容し、必要以上にこだわらずにどもりながらでも自分の人生を進めていこう」という考え方で運営されています。
一方、民間の矯正所は正反対で、「それぞれの技法でどもりを治す」という考えに立っているところが多いようです。
 
 どもりを治す為に、あえて公衆の面前で私はどもりですと演説してみたり、最初の言葉を長く引きながらゆっくりと発音したり、腹式呼吸を重視してそれなりの呼吸・発声訓練をする。
 いろいろな吃音者とセルフヘルプグループで交流し「吃音を持ちながらも自分の人生をしっかりと生きていく心構え」を自分の心の中にゆっくり・しっかりとすえて、「吃音がまったくない自分」だけを夢みて生きていく行き方を改める。
 
 どもりの対応法にはいろいろな考え方があり、訓練方法があります。
ある人にはその方法がフィットして劇的に改善される場合もあれば、その話を聞いて同じ方法でトライしてみてもさっぱり良くならない人もいます。
 
 それは、どもりは人間(人生)のさまざまな部分からできているからではないでしょうか。
 
 どもりに対していちばん敏感で傷つきやすい子供の時期の心理的な意味での家庭環境はどうか、本人の性格の傾向、学校でのいじめはあるかないか、
 思春期以降は、どんな人に人生のどこで出会いどんな影響を受けるのか、将来の仕事(やりたいことなりたいもの)があるかどうか、つまずいてもやり直すシステムが身近にあり家族もそのことに対して寛容か・・・
 
 科学的に吃音の原因が特定されていない現在、
特定の訓練、手術、投薬ではどもりは治らないといってよいでしょう。
 
 ただし、何らかの方法で吃音が改善(少しの改善、または劇的な改善)されて、本人が自分の生活(仕事)状況に合わせて「治った」と考えられる状態になれば、それは「治った」ということです。
ある仕事に就いてそこで要求される言語表出のレベルをクリアーできれば、それはその「状況設定」において「治ったといっても良いのかもしれません。
 
 しかし、雇用が流動化して事実上の終身雇用が崩壊した現在、同じ会社内にいられても仕事内容が大きく変わるときは「状況設定」大きく変わりますので、「治った」はずのどもりが突然復活し、今までの安定しつつあった人生が大きく狂うことも十分ありえます。
 
 こんなことを考えていると、
吃音を治そうとがむしゃらにトライして、あるときはセルフヘルプグループで、またあるときは追い詰められて民間の矯正所に通い・・・・・・
その他、自分でいろいろゴツゴツとぶつかりながら苦しんで良い意味でのあきらめが出来てきた時に気がついてみると吃音もある程度かかなりのレベルで改善されている自分を見出すのかもしれないなと思います。
 
 禅の修行に似ているのかもしれません。
しかし、禅の世界には「師」という存在があります。
スターウォーズの「ヨーダ」みたいな存在だと説明すると怒られるかもしれませんが、そう考えるとわかりやすいです。
 
 どもりを意識して猛烈に悩み始める思春期以降に、
どもり界の「ヨーダ」が身近にてくれるような社会にしていきたいと思います。
 
 
 
 
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