「吃音」よりもつらいことはたくさんある(が)

 「吃音よりもつらいことはたくさんあるよ、世界には今日のご飯もまともに食べられない人がたくさん(こちらの方が多数派でしょう)いる。戦争に巻き込まれて肉親を失った子供もたくさんいるよ。それから思えば、どもり、なんてたいしたことない・・・・・」

なぐさめるために言ったとします。なるほどそうですね。

でも、吃音を持った人は、「今の自分を取り巻く環境で」どもりとたたかっているのであり、苦しんでいるのです。言葉は、職場や学校で、電話で、友人、恋人・・・・およそこの世に生きている限りあらゆる場所でのコミュニケーション手段ですね。

社会人になれば(引きこもりにならないかぎり)、いろいろな立場の人に接する機会が増えます。自分と同年齢でもすでに社会に出てから時間がたっている人、既婚者、未婚者、異業種の人など、学校のなかにいたときとは比較にならないほどの刺激を受けます。自分では考えられないような過酷な人生を黙々と生きている人にも接することもあるかと思います。少しずつ吃音に対して鳥瞰図的に見ることができるようになってきます。

なにしろ、お金を稼がなければ生きていけないわけですから、吃音者はそれぞれの吃音の重さに応じて自分なりに職業選択をして生きていたざるを得ない状況になるわけです。(否応なしの事態です)

ここで、「開き直って生きていく形」を、現時点(医療が吃音を治せない)での、「吃音の克服」というのかもしれません。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中